意思と行動と、それから。

 「デジタルデトックス」という言葉が生まれるぐらいに現代は、デジタルデバイスと生活は切っても切れないようだ。僕も、例に漏れず、そこそこ中毒気味である。自覚的である分、ましかもしれない。全デジタルでバイスから離れてやる!という強い意思はまったくないのだけれども、ちょっとTwitterからは距離をおいてみようと思った。特にこれという主な理由があるわけではない。今後一切やらないとかそういう話ではないです。
 ということで、行動を制限するのが手っ取り早いので、iPhoneのDockにおいていたアプリ削除することはないけど、簡単にタップできないようにした。なんかそーいえば、修論のときも、hostsでTwitterにアクセスできないようにしたっけな。
 仕組みを作って、行動を変えるというのは、うまく生きるコツの一つのような気がしている。自分の意志とは無関係に、行動を変えることができてしまうから。このあたりの話は、行動分析学パフォーマンス・マネジメント―問題解決のための行動分析学)とかが面白かった。
 で、Twitterから離れて(普通にMacの前にいるときは普通にTLを眺めてはいるんだけれども)発見したことがある。TLを経由せずに、前の行動に戻れるということだ。例えば、iPhoneで音楽を聴きながら本を読んでいるときに、ちょっとしたことでiPhoneを操作(曲を変えたり言葉を調べたりメモしたり)したあとに、TLを経由せずに、本に戻れるのだ。当たり前っちゃ当たり前なんだけど、そのちょっとした隙間でTLを眺めているというところを、今まで自覚していなかったのである。
 次の話題。やる気がないから行動しないというのは、まったく理由になっていないので、「やる気がないことを言い訳にしない」というのは、僕の中のひとつのルール(必ず守れている訳ではないけれども)だ。休みの日は、ランニングするようにしている。今日は休みだった。予定だと、12kmのビルドアップ走か、ハーフぐらいのランニングをすることになっていた。けど、今日はびっくりするぐらい走りたくなかった。本当に走りたくなかった。それはやる気がうんうんというよりも、疲れすぎてて、動けないんじゃないかと思った。疲れが溜まっていて、もし走っても目標のペースですら走れないような気がした。最近のメニューで強度上げすぎて、疲れがたまってるぐらいだったら、回復を優先して、次の休みに備えるというのもありだと判断しようとも思った。雨も降ってきたし・・・。
 雨が上がったあと、それでも、僕は走ってみた*1。身体が動かなければ、もう3kmでも5kmでもいいから戻ってくるつもりだった。
 結局、ちゃんと目標のペースで12kmをしっかり走り切った。前回よりもちゃんと強度の高いメニューになっていたのだ。
 じゃあ、一体、僕のあの疲労感はなんだったんだ。

*1:いろいろ工夫してあるのでね