この世は二人組ではできあがらない/山崎ナオコーラ
新潮社 (2012-12-01)
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素晴らしいのひと言。
二十三歳の男が「家出」という言葉を使用するのも子どもじみており、すべて可笑しい限りだった (p.10)
「この国はフリーターでも暮らせる国なんだよ」 (p.13)
「でもさ、仕事が終わったあとに、文庫本一冊と、缶ビール一本を買うのが、一日の終わりの楽しみなんだ。部屋で読書したり、CD聴いたりしていると、生きているって感じがするよ。文化ってすごいなって」 (p.14)
私は社会参加をしたかったが、社会で上手くやる気はさらさらなかった。 (p.21)
好きだ、という科白をひとりの異性にしか使ってはいけないという社会通念を、私はばかにしていた。どうして全員が二人組にならなくてはならないのか、なぜ三人組や五人組がいないのか、不思議だった。 (p.23)
「つき合って」と言うので、「はい」と返事しておいた。「つき合って」というのは現代日本の恋愛用語であり、パートナーと呼ぶほどではないが、他人を前にしたら「彼」だの「彼女」だのという三人称を「特定の異性」という意味あいで使って紹介し、その異性と「つき合い」をやめるときには別れの挨拶を必要とし、それなしで他の異性と仲良くなると「浮気」だの「本気」だのという言葉を使うことになるということを、暗黙の了解として共有したい、という科白である。 (p.28)
「貞操を守るために生きているわけじゃない」
私は言い放った。 (p.39)
現代社会に合わせて人生設計を立てるなんて、ばかだ。社会というのは、これから作るものだ。そこに合わせて生きてるのではなく、大人になった私たちがこれから社会を構築し、新しい生き方を始めるのだ。もっと寛容な、未来の社会に人生を設定して、これからの時代を自分で作りたい。 (p.40)
文学賞とは、社会への切符なのだ。
私は自分の書いた小説を褒められたいわけではなく、社会的な作品にしたかったのだ。 (p.52)
私は思う、自分は強者だと。弱者ぶって甘えながら小説を書くことはできない。 (p.70)
彼に収入がないということは、本人に自信がないということだ。あいつは自信が欲しいのだ。生活費でも、貯金でもなく、自信に関係しているものなのだ。 (p.103)
私は小説も、絵も、音楽も、教養や心の豊かさのために使ったことがない。ただの逃避手段だ。視点を移すため。現実の状況とは違う、別の考え事をしたくて、芸術を道具にしていた。 (p.117)
勉強や評価のない職場で、周囲との協調を保つことに重きを置いて働くことは、彼には不向きだ。 (p.119)
個性がない。そして、私はサラリーマンにもお母さんにもなれていない。子どもの頃は、大人になったら全員が、サラリーマンかお母さんになれるのだと思っていた。
しかし今の社会は、そんな風に生きられるような構造をしていないらしい。 (p.142)
社会参加がしたい。私のことを好きではない読者にも、私の言葉を感じてもらいたい。 (p.163)
二人が好き合っていたのではなく、世界から二人が好かれていただけだったのだ。 (p.156)
社会が温かいものだということを、みんな知らな過ぎる。人間は遺伝子の乗り物というだけでなく、文化の乗り物でもあるのだ。 (p.171)