期間限定の思想 「おじさん」的思考2/内田樹

 2002年11月に出版されたものが文庫化。2002年、結構古い。かとって、つまらなくなってるかというとそうでもない。最近の本と比べて、文体がだいぶ違っていた。僕はこっちの方が好き。テーマは、定番のネタ(いやいや、そうではなくて、これから内田さんの定番になっていったのか)。

メモ(たくさん)

 人間が精神的に追い詰められる状況というのは、端的に言えば「一人で生き、一人で運命と対峙し、一人で責任をとり、一人で問題を解決する」ことを強いられる状況のことである。 (p.13)

「女の成長を妨げるような愛し方をするな」 (p.15)

 この先、女性たちはその社会的能力を研ぎすませて生き残るさらにタイトな戦いを強いられ続けるであろうが、そこで結局勝ち残るのはおそらく「支えとなる男」をパートナーに得た女性たちだけである。 (p.17)

「自立している人」というのは「ああ、この人は自立している人なんだ、立派だなあ。偉いなあ」という君たちの周りの人間の「承認」と「敬意」を支えにして立っているわけで、別にひとり宙空に浮いているわけじゃない。だから、自立している人間というのは、平たく言ってしまえば、「何かというと、他の人たちから頼られ、すがりつかれる人」のことだ。 (p.21)

 例えば、君がごろごろしてデブになったときには「正直言うけど、ぼく、ほんとは三段腹の女性が好きなんだ」と言い、君が痩せ出したら「スレンダーな女性が好き」になり、君が日焼けしてきたら「小麦色の高気圧ガールが大好き」になって、君が病気になったら「蒼白で蒲柳の質の人が好き」になるような男がそれだ。つまり、「変化したあとの君」を「変化する前の君」よりもつねに優先的に配慮する男。それが「支え」になる男なのだよ。 (p.26)

 苦難の果てに人格陶冶を果たした女よりも、幸せすぎて「ダメになりそう」な女の方が、すでにずっと人間的に「成長」を遂げているのだ。 (p.26)

自分の身に「うまく説明のつかない」出来事が起きたとき、その原因を「誰かの悪意」に求めて説明しようとする人がいるだろ。あらゆる問題について、「誰のせいだ?」というふうに問いを立てる人がいるだろ。 (p.31)

 哲学的な言い方をすれば、「仕事をする」というのは、「他者を目指して、パスを出す」という、ただそれ「だけ」のことである。
 私たちは「自分のために」「自分に向けて」「自分に何かをもたらし来たすために」仕事をしているのではない。 (p.42)

 人間というのは「どういう基準で判断しているか分からないことがらについて、きっぱりと断言する人間」に対しては「必ず気後れがする」という心理的な構造に生まれついているからなのだ。 (p.48)

『聖書』という書物のメッセージは究極的にはただ一つしかない。
 それは「神さまは存在する」ということだ。 (p.50)

 結婚というのは「する前」は早くしたいと焦慮で苦しみ、「した後」は取り返しのつかないことをしてしまった後悔で苦しみ、「まるでしなかった」場合には愛が何かを知らずにいることを苦しみ、「何度もした場合」には愛が何かを知ってしまって苦しむ、という「苦しみだけが真実」の経験なのだよ。 (p.66)

 示された条件がすべて満たされようとも、彼女は平然と「ネクタイの柄が悪い」とか「ご飯の食べ方が下品」とか「音楽の好みが変」とか無数の口実を発見して、マッチングを棄却することができる。
 そうして、そうやって条件をさんざん変えて求婚者を追い返しておきながら、いざ結婚するということになって、彼女のお眼鏡にかなった相手を拝見すると、たいていの場合、「なんだよ、話がぜんぜん違うじゃねーか」ということになるのである。 (p.68)

「私はこの女の愛を確保するための条件を整えた」という男の安心感ほど女性を不快にさせるものはない (p.69)

「ダメだなー、おれは」といってへらへらしている諸君のおかげで社会的リソースの競争的争奪は緩和されており、マーケットがシュリンクしている時代においては「ダメである」ことは総体としてはクレバーな選択であるとも言える。 (p.147)

 いま一五歳から三五歳までの「ダメ」世代はあと二〇年後ぐらいには「スキルもないし、購買力もないし、知的生産力もないし、情報発信力もないし、政治的主張もないし……ま、ひとことでいえば『どうでもいい人たち』だよね
としてそれ以外の世代集団から、ずいぶんぞんざいに取り扱われることになる。 (p.153)

 そのような長期的な「未来」の苦痛と短絡的な「いま」の快感を「引き替え」にするのはどう考えても間尺に合わないように思うが、その「間尺に合わない」という発想法そのものが「未来」という概念を持たない人間には備わってないのである。 (p.158)

「公共の場」に「私的なもの」が漏れ出すことの本質的な「不気味さ」に神経が逆なでされるからである。 (p.167)

 次の言葉は、僕の座右の銘の一つになりそうだ。

 弱さを認めるのは、強くなるためである。 (p.175)

 泣いたり、わめいたり、怒鳴ったり、総じて「自分の弱さを担保にして」発言する人間は、その発言機会がぎりぎりのワンチャンスであるということをわきまえたほうがいい。 (p.176)

 家族は仲良く暮らすべきだと私は思っている。
 そして、逆説的なことだが、「家族が仲良く暮らす」秘訣は、家族とはテンポラリーなものであり、その構成員はいずれ離散するのだ、ということを家族のみんながいつも意識していることだと思うのである。 (p.216)

 変化し続けるということを前提にして、その変化し続ける人間の集団がどういう法則に従っているのかを見つけ出して、矛盾や対立を維持しながら、そのコンフリクトの中で人が苦しんだり死んだりということが起こらないようにするにはどうしたらいいのか、それを考えるべきだと思います。 (p.230)