身体を通して時代を読む 武術的立場/内田樹 甲野善紀

身体を通して時代を読む―武術的立場 (文春文庫)
甲野 善紀 内田 樹
文藝春秋 (2010-09-03)
売り上げランキング: 95252
 内田さんの本を読むと、納得してその通りだと思うか、何言ってるのかさっぱりわからないの2パターンのどちらかになることが多い。しかし、身体論だけは、そうではなくて、納得いかないという感じ(身体を使わないと理解できないから?)。本書は、身体論自体はそんなに前面に出てこず、時代を読む方に重きがあった。当たりだった気がする。
 以下、メモ。

「これだけ努力をして精進したんだから、他人には負けられない、なめられちゃいけない」というふうに突張るよりは、「まだまだ未熟ものですから自分の可能性がどれだけ開花するか見当もつきません」という心の持ち方をして稽古する方がずっと愉快だし、稽古そのものも生産的になりうると思うんです。 (p.30)

 僕がだらけた若者をあまり叱らないようにしているのは、一度叱ってしまうと、自分の叱責の正当性を証明するために、彼らがほんとうに生き延びられないようなひどい目に遭って泣いて後悔するような事態の到来を無意識に望んでしまうからです。 (p.101)

 例えば、「人間の命は地球より重い」という言葉がありますが、実はこの「人間の命は地球より重い」という表現は、死刑判決を下す理由に使われたそうですね。「人間の命は地球より重い、その人間を殺した君は死刑に値する」ということだったんだそうですね。 (p.114)

恋愛の始まりの言葉は「あなたのことがもっとよく知りたい」であって、恋愛の最後の言葉は「あなたって人がよくわかったわ」ですから。 (p.133)

 梅棹忠夫の『文明の生態史観』(中央公論新社)という本の中で、社会集団の歴史的変化には、二つの種類があるということが書いてありました。ある種の社会は、社会制度そのものは次々と変わっていくのだが、「変わり方は変わらない」。例えば、つねにカリスマ的指導者が狂信的な信奉者を引き連れて社会体制を転覆して、新しい独裁体制を作る、というような社会ですね。それとは別に、社会制度が変わるときに、「変わり方そのものが変わる」社会というのがある。 (p.182)

「どうせ死ぬのになぜ生きようとする」 (p.224)

 僕が読者に「この人は、私たちの味方だ」と思ってもらわなければ、どれほどえらそうなことを書いても、どんな「正しいこと」を書いても、女性の読者たちに、僕の言葉は届かないんです。僕が彼女たちの「味方だ」と思ってもらわない限り、どれほど言葉を尽くしても、身体レベルでははねつけられてしまうんです。 (p.244)

「いやだけれども、ルールだから従う。遵法的ではあるけれど、本意ではない」というようなメッセージは「むかつく」とか「うざい」というようなシンプルな語彙では間に合わない。 (p.270)

この間は「現代思想を学ぶ意味は何ですか?」と訊かれたので、「そのような質問をしない人間になれることです」と答えましたけれども、イジワルすぎたですね。 (p.286)

日本の終身雇用システムは、歳を取れば序列が上がるというだけじゃなくて、どんなに偉ぶったやつでも歳がきたら辞めなくてはいけないというかたちで、ある種の流動性が担保されていたと思うんです。 (p.287)