子どもは判ってくれない/内田樹

「君を愛しているか、ぼくにはよく分からないんだ。でもね、『君を愛しているかどうかよく分からない』と君に告白するぼくの誠実さだけは信じてほしい。」(p.15)

ある活動のためにいくら時間を割いて、どれほどエネルギーを注いでも、まったく苦にならないで、それに従事している時間がすみずみまで発見と歓喜に満たされているような活動が自分にとって何であるかを知っていて、ためらわずそれを選びとる人間のことを私たちは「才能のある人間」と呼ぶのである。(p.109)

自分だけの「快楽の尺度」を持っていない人間に「快楽」と「欲望の充足」を区別することはできるはずがない。
 言葉は似ているけれど、「快楽」は本質的に個人的なものであり、「欲望」は本質的に模倣的なものである。この二つはまったく違う。
(中略)
私たちが欲望するものはすべて「それはもう欲しくなくなった」と言うだけのために欲望されているのである。(中略)
 快楽とは、「快楽の追求」それ自体が十分な愉悦をもたらすようなもののことである。(p.109)

 コードを書く事が大好きでいっつも書いているような人をハッカーという.(コンピュータを使って悪さをするのはクラッカー.)いもたんとかを見ていると、まさしくそういう人だなと思う.
 先日、読んだ【フィクション】「T京K芸大学マンガ学科一期生による大学四年間をマンガで棒に振る」/「明日からがんばる」のマンガ [pixiv]は、漫画を書いていることが「快楽の追求」であったのに、「欲望の充足」へと変化していった漫画である、と僕は思った.

職業というのは「好きなことをやる」のではなく、「できないこと」「やりたくないこと」を消去していったはてに「残ったことをやる」ものだと私は考えている。(p.114)

 一体、なにができなくて、やりたくないのだろうか.もう少し言語化しないといけない.


子どもは判ってくれない (文春文庫)
内田 樹
文藝春秋
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