下流志向

リスク社会とは、そこがリスク社会であると認める人々だけがリスクを引き受け、あたかもそれがリスク社会ではないかのようにふるまう人々は巧みにリスクをヘッジすることができる社会なのです。(p.99)

交換における真の掛け金は、等価のものを交換することでもないし、安価で高価なものを買いたたくことでもなく、交換をきっかけにして、交換を可能にするもろもろの人間的価値を創出することにある。

 「文化資本」というのはピエール・ブルデューの用語で、平たく言えば、「教養」ということです。美術や音楽についての批評眼とか、適切なマナーとか、服装のセンスとか、ワインの選び方とか……そういう身体化された「お育ちのよさ」みたいなものです。
<<中略>>
 佐藤学さんから伺ったんですけれど、東大のゼミでももう学生同士の話題が噛み合わなくなってきているそうです。音楽の話とか、美術の話とか、文学の話になると、そういう話題にまったくついていけない学生と、そういう話題がちゃんとできる学生の間にはっきりとした断層が生じている。<<中略>>いわゆる昔ながらの上流社会の「リベラルアーツ」を身に付けて育ってきた子どもが一方にいて、子どものころから塾通いで勉強だけしてきて、本も読まないし、音楽も聴かないし、美術もわからない……というような学生が他方にいる。